National Motos Honda FMAは、先週末開催されたボルドール24時間レースにおいて、ダンロップがタイヤを単独供給するーパーストッククラスで初のタイトルを獲得し、FIM耐久ワールドカップ2023年シーズンでの悪夢を払拭した。ギョーム・レイモンド選手、セバスチャン・スエット選手、バレンティン・スエット選手、そしてステファン・ハダディ監督は、ポール・リカール・サーキットでの大逆転勝利にこう説明してくれた。
ステファン・ハダディ監督:「全ての背景に、色々な思いがあるんだ。我々は、相互の信頼、規律、そして多くの挑戦に支えられながら、なんとか一緒にチームを作り上げることができたんだ。1980年代に準世界チャンピオンになったこともあるこのチームは、いつもタイトルが手の届くところにあるということはわかっていたけど、問題は、どうやっったら手に入れられるかだったんだ。ここ数年では運が味方してくれなかったから、今回は安全策をとって、最後までレースを走りぬき、完走するという決断をしたんだ。だけど、スタート直後からすべての計画が狂ってしまったよ。本当に苦戦したよ。最終的には、あと一歩のところまで来ていたから、それを逃すわけにはいかなかった。正直、夜のある時点で、やめようかとも思ったんだ。我々はすでに鈴鹿でポイントを獲得していたから、あとは他のチーム次第だったんだ。運が味方してくれれば、1位を獲れるし、そうでなければ1位にはなれない。鈴鹿で獲得したような17ポイントを獲得することはほとんど不可能だったからね。でも、ライダー、メカニック、ボランティアなど、チーム全員が力を発揮してくれたよ。我々は、自分たちにこう言い聞かせたんだ。『ライダーを危険にさらしたり、エンジンが故障したりしない限り、何があろうともレースを完走する。』ってね。だって、このコースは、機械的にいかに難しいかを我々はみんな知っているからね。みんな、それを実現するために腕まくりをして、、。そして、実現させたんだ。このスポーツの精神、つまり忍耐力、回復力、そして客観的に見て得るものが何もないときでもフィニッシュまで突き進むという姿勢を貫けたことを誇りに思うよ。我々はテレビでフィニッシュを見守ることもできたんだ。だけど、我々は純粋に、ともにこのタイトルを追い求めたかったんだ。誰もが疑心暗鬼に陥る瞬間があったけど、我々は団結し、名誉あるタイトルのために戦ったんだ。」
セバスチャン・スエット選手:「レース中、僕たちみんなが順番にどん底を味わったと思うよ。でも、僕たちは本当にうまくやっていたと思うし、最後には状況があまりにも下らなくて、ほとんど笑い出しそうになったんだ。そうしたら『よし、とにかく走って、楽しんで、何が起こるか見てみようか!』って感じになったんだ。その時点で、僕らの運命は、もう自分たちの手には負えないってわかっていたから、最終的にはポイントなんて関係ないとわかっていても、レースをとにかく完走するということに集中したんだ。そう、僕たちはこの理不尽さを笑い飛ばして、ただただ楽しんで、次のチームメイトにマシンを渡して、僕たちを苦しめ続けたあの忌々しいゴールラインを越えるまで走り続けたかったんだ。」
ギョーム・レイモンド選手:「この点差を考慮すると今回は待ちのゲームにするって、僕たちは話し合っていたんだ。だけど、事態はすぐに軌道から外れてしまったけどね。ピットで自分たちが順位を下げたり上げたりするのを見ていた時間は数え切れないほどあったよ。正直なところ、一時は不運続きで、このままずるずると後退していくんじゃあないかと思ったこともあったね。でも、それ以外の終わり方はあり得なかったんだ。最終的には、#18の勝利のおかげで、この2年間苦労した僕たちにもっともふさわしいタイトルを手にすることができたんだ。」
バレンティン・スエット選手:「正直、本当にタフなレースだったよ。プレッシャーはなくて、自分たちのレースをすればいいって簡単に思っていたんだけど、結局はそうはならなかったんだ。感情が入り乱れたよ。最初はちょっとしたメカニカルトラブルだと思っていた。1周遅れたけど、大したことはないと思って、再び走り始めたんだけど、その後、また別の問題が出てきて、チェーン、ラジエーター、そしてそれに付随するすべての問題が出てきたんだ。チェーンが切れたあとは、シフターを壊してしまい、また修理しなければならなかった。で、その次は、ブレーキキャリパーまで壊れてしまった。3回目に戻って、4回目に出る頃には、ヘルメットの下は涙でいっぱいだったんだ。僕たちは、ヘトヘトで、完全に消耗していて、頭の中ではもう終わりだと思っていたんだ。もうダメだと思ったよ。そのうえ、コースに戻ろうとしたときにタイヤに問題が出て、バイクが狂ったように振動したんだ。本当に悪夢のようなレースだったけど、最終的にはこの2年間の賢明な努力が報われたよ。」
ステファン・ハダディ監督:我々は多くの厳しく、残酷で、不公平なレースに耐えてきた。ボーナスレースのルールは、今年の初めから誰もが知っていたし、ポイント獲得のために鈴鹿に行ったんではなくて、我々全員にとっての夢だったから行ったんだよ。全員がその夢のために、経済的な貢献をしてくれたんだ。それは、我々のチームの歴史に残る重要な出来事でもあったんだ。今日、チームは50歳を超えた。1969年9月にオープンしたディーラーは今年で55年目を迎えるんだ。その数字がここまでずっとついてきているのだから、このレースを完走し、追加ポイントが獲得できなくても最後までやり遂げる努力をしたことは、この挑戦をやり遂げたという評価につながると信じているよ。」
情報提供元 [ FIM EWC ]